私の選んだミュージカルナンバー、ベスト30(その1) |
||
HOME(トップページ) メッセージ 私のプロフィール メール・コピー等について サイトマップ SABOの東京名所写真 |
「映画・Jポップエッセイ」に戻る 私の選んだミュージカルナンバー、ベスト30 ミュージカル映画と音楽について 関連ページ……『私の映画企画』「夢のミュージカル・コンサート」 ( )内はミュージカルのタイトルです。番号と順位は関係ありません。ほとんどがブロードウェーなどの舞台で上演されたあと映画化もされている作品です。ただ、『オズの魔法使い』『雨に唄えば』『メリー・ポピンズ』はハリウッドのオリジナルミュージカル。また、『キャッツ』はまだ映画化されていません。映画版で、出演俳優が歌が得意でない場合、しばしば吹き替えが行われます。たとえば、『王様と私』のデボラ・カー、『ウエストサイド物語』のナタリー・ウッド、『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘップバーンの歌は、マーニー・ニクソンという歌手が吹き替えています。ただ、『キャメロット』では、なぜか歌は素人のバネッサ・レッドグレーブなどに歌わせているので、『マイ・フェア・レディ』とともに、もし手に入るのでしたら、ジュリー・アンドリュースが歌っている舞台版の輸入CDのほうがおすすめです。 下の1~10の解説は(その2)、11~20の解説は(その3)、21~30の解説は(その4)でしています。 1.「サウンド・オブ・ミュージック」(『サウンド・オブ・ミュージック』) 2.「私のお気に入り」(『サウンド・オブ・ミュージック』) 3.「エーデルワイス」(『サウンド・オブ・ミュージック』) 4.「トゥナイト」(『ウエストサイド物語』) 5.「マリア」(『ウエストサイド物語』) 6.「愛はどこに」(『オリバー!』) 7.「気楽にやれよ」(『オリバー!』) 8.「買ってくださいな」(『オリバー!』) 9.「踊り明かそう」(『マイ・フェア・レディ』) 10.「君住む街角」(『マイ・フェア・レディ』) 11.「乙女のよろこび」(『キャメロット』) 12.「ひそかな想い(筆者訳)」(『キャメロット』) 13.「もしもあなたと別れるなら」(『キャメロット』) 14.「バリ・ハイ」(『南太平洋』) 15.「魅惑の 16.「シャル・ウィ・ダンス」(『王様と私』) 17.「ハロー・ヤング・ラバーズ」(『王様と私』) 18.「アイ・ハブ・ドリームド」(『王様と私』) 19.「もしもあなたを愛したら」(『回転木馬』) 20.「ハロー・ドーリー!」(『ハロー・ドーリー!』) 21.「ピープル」(『ファニー・ガール』) 22.「サンライズ・サンセット」(『屋根の上のバイオリン弾き』) 23.「見果てぬ夢」(『ラ・マンチャの男』) 24.「リビング・イン・ザ・シャドウ」(『ビクター/ビクトリア』) 25.「ソー・イン・ラブ」(『キス・ミー・ケイト』) 26.「虹の彼方に」(『オズの魔法使』) 27.「雨に唄えば」(『雨に唄えば』) 28.「ショウほど素敵な商売はない」(『アニーよ銃を取れ』) 29.「2ペンスを鳩に」(『メリー・ポピンズ』) 30.「メモリー」(『キャッツ』) ミュージカル映画のほとんどはアメリカのハリウッドで製作されてきましたが、それらは大きくわけて二種類あります。一つは、MGMミュージカルの『オズの魔法使い』『雨に唄えば』『 前者のオリジナル作品は1940年代から1950年代にかけて大量に製作されました。基本的には歌や踊りを楽しむことがメインの作品群ですので、深刻なストーリーというのはない。気楽に楽しめます。それらの中では、とくに『雨に唄えば』がメチャ楽しい作品で、おすすめ。そのほかにも面白い映画はありますが、見る者の魂を揺さぶるような深い感動を与えるミュージカル映画となると、やはり1960年代のミュージカル演劇の映画化作品ということになります。 1960年代のアカデミー作品賞の受賞作をみると、『ウエストサイド物語』『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』『オリバー!』と、じつにミュージカル映画が四作品も入っています。しかも、すべて演劇の映画化作品。イギリス生まれの『オリバー!』は別として、いずれもブロードウェーで初演されロングランされたミュージカルです。そして受賞は ところが、これ以後、ミュージカル映画はほとんど製作されなくなりました。ほんとにパッタリという感じ。これはどうしてでしょう。ミュージカル映画は多額の製作費がかかるわりにヒットしない作品も多く、赤字になったミュージカル映画も少なくなかったということもあります。しかし、最大の原因は、ミュージカルの供給元であったブロードウェー演劇のミュージカルに傑出した作品が出てこなくなったためです。『オクラホマ』『南太平洋』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』を生み出したリチャード・ロジャース(作曲)とオスカー・ハマースタイン二世(作詞・脚本)の黄金コンビは、ハマースタインの死により終わりました。『マイ・フェア・レディ』『キャメロット』のフレデリック・ロウ(作曲)とアラン・J・ラーナー(作詞・脚本)のコンビは解消され、以後作品を生み出すことはなくなりました。その後、『ハロー・ドーリー!』『屋根の上のバイオリン弾き』『ラ・マンチャの男』といったヒット作は出たものの、それ以後はめぼしい作品はほとんどありません。 私は十代の頃、いわゆる日本の歌謡曲というのは嫌いで、二十代になって日本の歌謡界が太田裕美などのニューミュージック系の歌が主流になるまで、全く聴きませんでした。その代わり、映画音楽やミュージカルの歌を愛聴していました。二十代以降、Jポップの歌を熱中して聴いていたように、『サウンド・オブ・ミュージック』を始めとするジュリー・アンドリュースの歌や『オリバー!』の歌などを夢中で聴いていたのです。しかし、これは私にかぎったことではありません。現在、誰もが知っていて愛聴しているアメリカの歌などほとんどないでしょうが、当時は「トゥナイト」「踊り明かそう」「シャル・ウィ・ダンス」「ドレミの歌」などのミュージカルナンバーを知らない人などまずいませんでした。ラジオのスイッチを入れれば、映画音楽の名曲やこれらの歌が流れ、テレビの歌番組では多くの日本の歌手が日本語の歌詞に訳されたこれらの歌を歌っていたからです。いささか大げさにいえば、これらのメロディーはメディアから洪水のように流れていたのです。 上にあげたミュージカルナンバーは、そうしたものの代表的な歌です。私の好みで選んだこともあり、メジャーでない歌も入っていますし、また、「ドレミの歌」「チム・チム・チェリー」など割愛した有名曲もありますが、スタンダードナンバーはほぼ 「映画・Jポップエッセイ」に戻る ミュージカルナンバー、ベスト30(その2)へ進む このページのトップに戻る |