八道州・七新都市建設の提言 5 -第四章 新都市建設の実際- |
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『八道州・七新都市構想』に戻る 七新都市建設の実際 東京の再開発 以上、「新首都」「新産業都市」「日本のラスベガス」「日本のハリウッド」の四種類の都市に関して、それらがどのような都市であるのか、またそれらの都市を建設する必要性やメリットなどについて説明してきた。では、これらの都市は具体的にどのような手順で建設を進めていったらいいのだろうか。また、この大事業は現在の景気の回復や財政再建などにどのように結びつくのだろうか。そうしたことについて次に私の考えを述べようと思う。 まず、この建設事業はどのくらいの費用がかかるのか考えてみよう。しかし、これについては不確定要素が多い。たとえば、「新産業都市」においても、その一つが人口三十万人になるのか、あるいは六十万都市になるのかで、建設費は全く違ってくる。「日本のラスベガス」がいったいどの程度の規模の都市になるのかも、現段階ではわからない。しかし、ここである程度具体的数字を出さないことには議論の叩き台にもならない。そこで一応、各都市は平均して人口三十万人、建設費は八兆円ということにする。すると、七つの新都市で総事業費は五十六兆円、これに東京の再開発の費用を(企業 が霞が関の土地を買収する費用は、新首都建設の費用に そして以前指摘したように、これらの建設は民活を利用したり、あるいは首都機能が移転したあとの霞が関の跡地を売却して費用を捻出したりするので、税金の支出は必要ない。税金を使わずに、したがって増税は全くせずに六十兆円の大事業を行えば、当然内需が拡大されて景気はよくなる。その結果税収は増え、国と地方が抱える巨額の財政赤字を削減することもできる。ただ、単にこの大事業を実行するだけでは、現在でも多すぎる建設業者がさらに増えてしまうだろう。これは「脱土建国家」をめざさなければならない日本としては好ましいことではない。そこで私は、この事業を日本再生のために最大限活用することを念頭において、次のようなシナリオを考えた。 まず、七新都市の建設は、かつて国会で首都機能移転に関して「国会等移転決議」を行ったように、国会で「七新都市建設決議」を行い、またそのために必要な法律も制定する。(移転候補地の地価凍結的措置も必要になろう)同時に、七新都市建設審議会を設け、そこで具体的な都市建設プランの作成を実行する。もちろん、この建設には財界や、新都市に移転する多数の企業の積極的な協力が不可欠であり、この審議会にはそれらの企業の代表も参加することになる。そして国会の建設決議から五年後に七新都市の建設を始めて、その十二年後に終えることにする。一つの都市の建設にはだいたい十年で足りるが、新首都のように以前から審議会などで構想が練られてきた都市は早めに建設が始まり、その一方なかなか建設計画がまとまらない都市は、それより二、三年着工が遅れると考えられるからである。 すなわち十二年間で六十兆円の工事を行うわけだから、一年間では平均して五兆円の公共工事ということになる(ただし、東京再開発は民間の工事が大半となるが)。そして私は、この五兆円の公共工事が増える分、同じく五兆円のムダな公共工事を減らすことを提言したい(これには国の地方交付税交付金と補助金で行われる地方の公共工事も含まれ る)。もし、七新都市建設を実行せずにムダな公共工事を年間五兆円分も減らせば、多くの土建業者が倒産して失業者があふれ、景気にも大きなマイナス要因になる。しかし、七新都市建設を実行すれば、ムダな公共工事が減った分、新都市の建設工事が増えるわけで、彼らは仕事を失わずにすむわけである。一方、新都市の建設は税金を必要としないので、国としては年間五兆円の予算がまるまる浮くことになる。これは当然、この分、国債発行額を減らし、財政再建のために使わなければならない。 ただ、七新都市の建設工事が終わったあとはどうなのかという問題が出てくる。しかし、心配はいらない。七新都市の建設工事が終わったあと、再びムダな公共事業を増やすなどということはないからである。七新都市が完成すると、そこはビルのメンテナンスや観光業を始め多くの新しいビジネスを生む。多くの雇用も創出する。したがって、新都市完成により新しい仕事が少なくなった土建会社は、新都市でのビジネスチャンスを活用して新たな業種に進出することだろう。新都市建設に携わった多くの労働者も、新都市が生み出す多くの雇用の もっとも、この転換はそう急激に行われることはないと思う。というのも、新都市が一応完成したあとも、これらの都市の拡張工事は何年にもわたって行われるだろうし、さらにいくつかの新都市が建設されることも考えられるからである。日本人は、万博などの例をみてもわかるように、前例のないことをやるのは慎重だが、一つ大きな成功をおさめると、同じことを次々と行おうとする。したがって、もしこれらの新都市建設が成功すれば、多くの地方が新たな新都市建設を具体化しようと運動することだろう。国にしても、税金を使わずに内需拡大ができることに味をしめ、さらに新都市建設計画を推進しようとすると思う。しかし、だからといって新都市を安易に増やすことには慎重になる必要があろう。というのも、たとえば「日本のラスベガス」がさらに増えて日本の各地にできたとする。すると、カジノの入場者は各新都市に分散してしまい、既存の新都市の施設の運営に悪影響を与え、場合によっては共倒れになる危険性もあるからである。 ところで、新都市建設による内需拡大について、次のような疑問を持つ人もいるだろう。すなわち私の案だと、新都市建設などに六十兆円かけるぶんムダな公共事業を同じだけ減らしてしまうので、建設工事による内需拡大効果はプラスマイナスゼロではないか……というわけである。しかし、そうではない。現在行われているムダな公共工事と、七新都市建設工事では、同じ六十兆円でも、その経済波及効果(乗数効果)が全く違うのである。 たとえば、車よりタヌキのほうがたくさん走っているような山奥の道路をいくら建設したところで、その建設に直接かかった以上の経済波及効果はほとんどない。入場者がマバラにしか見られない田舎の博物館や美術館も同様である。むしろ建設後の施設の維持費が国や地方の大きな負担になる。しかし、新都市の建設では多くの住宅が建設されるので、そこに移住してきた人たちは家具や電気製品などを買う。ホテルや企業や学校なども家具や備品を揃えるので、内需拡大に貢献する。また、そこでは新しい多くのビジネスが生まれて富を生み出し、多数の観光客もやってくる。それらの観光客は新都市に金を落とすし、彼らを運ぶ交通機関も潤う。特に「日本のラスベガス」では一人当たりの観光客が使う金額は多いだろう。年間の観光客を、「日本のハリウッド」が三千万人から四千万人、「日本のラスベガス」が二つでやはり三千万人から四千万人、「新首都」が一千万人、「新産業都市」が三つで一千万人とすると、年間八千万人から一億人の新たな観光業の市場が生まれることになる。これは、現在海外からやってくる観光客がフランスの六%しかない日本において、外国人観光客を飛躍的に増やす契機にもなるだろう。そしてこのような経済波及効果は、各新都市の完成を待たずに、第一期工事が終わり施設の一部が使用されはじめた段階で生じることになる。 すなわち、現在行われているムダで税金がかかり乗数効果の低い公共事業を、有益で税金がかからず乗数効果の高い公共事業に変える……このことがこの 一つは「予測効果」というものである。現在の日本企業の株価がこれだけ低いのは、日本経済の将来性に対して人々が悲観的になっているという要因が大きい。すなわち、日本経済はバブルの後遺症にいまだに苦しんでいるが、金融機関の不良債権の処理もなかなか進まない。電機やエレクトロニクスのような日本経済をリードしてきた業界はアメリカとアジアの企業の攻勢に会って思うように利益をあげられずにいる。一方、国は巨額の借金をかかえていて公共事業で景気を回復させることが難しくなっている。そのうえいわゆる「IT革命」も不発に終わったようで、これから日本経済を救ってくれるような新産業が果たして出てくるのか不透明である。……このような 新都市建設の経済効果が即効性を持つ第二の理由は、新都市の建設は数年後でも、それを実行するには、多くの企業は今から多額の投資をしなければならず、それによって内需が拡大されるということである。たとえば、私の構想では、新都市の主要なビルと全ての住宅には太陽光発電システムが設置される。その需要に応えるためには、ソーラーパネルを製造している会社は今から多くの工場を建設して大増産に備えなければならない。また、「日本のラスベガス」の建設が決定されれば、カジノで使用される様々なゲーム機器を製造するための工場も建設されるだろう。これらの投資による内需拡大が現在の景気を 以上、七新都市建設を行った場合の経済的効果などについて説明してきたが、では、道州制の導入に関してはどうすればよいのだろうか。私の予想では、七新都市建設の構想に関しては、一度政治の議論の俎上に載せられれば、比較的スムーズに具体化するのではないかと思う。東京都や東京都選出の代議士などが猛烈に反対するとしても、全国的にみれば新都市建設を熱望する自治体が圧倒的に多いだろうし、また、景気の回復と経済発展を願う政財界や国民の声、それにアメリカなどの日本に対する内需拡大要求がこれを後押しすると思われるからである。しかし、道州制の導入に関しては、そう簡単にはいかないだろう。各都道府県の政治家や役人にとって、新都市建設は大きな利益だが、道州制の導入は不利益だからである。そして、多くの人間は、不利益はいやがり利益だけ欲しがるものである。しかし、この機会を逃せば、道州制の導入は永久にできなくなるだろう。というのも、一度新都市が完成してしまえば、これを地方に対するアメとして利用できなくなるし、また、各県庁職員の再就職先として新都市を活用するチャンスを逃してしまうからである。 それに七新都市を建設しても、現在の都道府県を残したままでは、それを地方経済の活性化に充分役立てることができない。たとえば、私の案では、北海道と四国に同じように「日本のラスベガス」を建設する。しかし、四国は四つの県に分かれているが、北海道は四国より人口も多く面積も広いにもかかわらず、県に分割されていない。したがって、 「北海道のラスベガス」で支払われる地方税は北海道全体を 〔私のこの構想は2002年当時のものだが、もちろん実行されることはなかった。その代わり当時の小泉首相は、公共事業は減らせるだけ減らして、これといった経済の活性化策は行わないという信じがたい愚挙を行ったのである。もっとも、現在の民主党の行っている経済政策は、それに三重の輪をかけて愚劣なものだが〕 最後に、首都機能や企業などが移転したあとの東京の再開発について検討してみよう。七新都市建設が実行されると、まず霞が関や永田町などの国の施設が新首都へ移転し、皇居も移り、すべての大使館も東京から出ていく。電機関係の大企業を中心に多くの企業も東京を後にする。映画会社や撮影所、それに多くの放送スタジオやレコード会社や芸能プロなども美幕市へ移転することになる。そのうえ道州制の導入により、東京都そのものがなくなってしまうわけである(道州制導入後、東京都庁は二十三区を統括する東京市庁になるか、あるいは関東州の州庁になるだろう)。しかし、これはたとえば体重二百キロの人間が百五十キロに減量するようなもので、都市としてより正常な状態に近づくというにすぎない。新しい東京は、「日本のニューヨーク」として金融や貿易を中心とした新たな経済都市としての発展を始めることだろう。〔しかし、その後、いわゆる『ジャパン・パッシング』という、欧米の企業が日本を通り越して中国や韓国などのアジア各国へ進出する現象が 現在の霞が関の官庁が入っている建物は、古いビルと新しいビルが混在している。 そしてより重要なことは、首都機能や企業などの異常な集中から解放された東京は、現在よりはるかに人間的な都市に生まれ変わるということである。たとえば、現在東京の企業に勤めるOLたちは、毎日通勤地獄に苦しみながら都心のオフィスに通っている。ところが、七新都市建設後の東京においては、彼女たちは永田町のマンションに暮らして霞が関のオフィスに徒歩で通い、昼休みには公園になった元皇居の吹上御苑で弁当を広げる……といったまるで夢のようなことが可能になるのである。 では、そうしたことを実現するための私の東京再開発プランを述べよう。まず、霞が関の土地は、以前指摘したように、国は民間に売却して、その代金を首都機能移転の費用に充てる。〔その後、霞が関の官庁が入っているビルは、次々と新しいビルに建て替えられている。したがって、新しいビルはビルごと売却するしかない〕その結果、ここは当然オフィス街になるだろう。これに対し、永田町の土地は、移転費用が足りなくなった場合のほかは売却せず、国有地のまま民間に貸与するのが望ましいと思う。そしてこの場合、オフィスに勤める人たちの職住接近を実現し、また都心の人口減少を防ぐためにも、ここはオフィスビルは建てさせず、主としてマンションのみ建設できる居住地区に指定して安い借地料で貸すことである。そうすれば、ふつうのサラリーマンやOLもここに住み、近くのオフィスに徒歩や自転車でも通勤できることになる。また、そのためには彼らが優先的に永田町のマンションに入居できるようにすることも必要だろう。 ただ永田町の建物の中で、国会議事堂は多くの政治的な歴史が刻まれた 首都移転後の現在の国会議事堂は、政治博物館などにするのがいいだろう。 映画の撮影所の跡地は、大地震の際、火災の延焼を防ぐということからしても、公園にすることが望ましい。世田谷区砧の東宝撮影所と東京メディアシティは、どちらか一方は公園にすべきだし、同じく木造家屋の密集地にある練馬区大泉の東映撮影所も、公園にすべく国などが買い上げるべきである。 東京から移転する企業のビルにおいては、大きくて都心にあり、かつ比較的新しいビルはそのまま売れるだろう。しかし、 そのほかにも、「八道州・七新都市構想」が実現すれば、東京と首都圏に劇的な変化が次々と起きるだろう。そしてもちろん、その変化は、日本全国にまで及ぶことはいうまでもない。現在は、日本にとって明治維新と戦後の大改革に続く第三の大変革の時期であるといわれる。しかし、内乱も戦争もない今は、多くの国民はそのような実感を持っていない。むしろ必要な改革が遅々として進まないため、単に 『八道州・七新都市構想』に戻る このページのトップに戻る |